2016年10月14日

シシャモは女神が柳の葉から作った魚

秋も深まり、そろそろ、シシャモ漁の準備が始まったようです。
テレビのニュースによると、今年は台風の影響もあって、去年よりさらに少ない漁獲量になるそうです。


アイヌの伝説によると、シシャモは神様がくれた魚。
先日見た絵本によると、それは女神様だったそうで、ご紹介させて下さいね。



■ シシャモが生まれたアイヌの伝説 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


昔々、兄妹の神様がいました。
あるとき、雷の神の兄が何処かに行ってしばらく戻らない日が続いたもので、妹の女神は心配になって下界の様子を見てみました。
するとそこから見えた村人達は皆、辛そうな表情をしています。


心配になったもので下界に降りて村の村長に理由を訪ねたところ、村長が言うには、『村には食べ物がなく、神様にお願いしているにもかかわらず、願いが通じず村は飢餓に苦しんでいる』との事でした。
猟をして暮らすアイヌの人達にとって、食べ物はみな神様から頂くものなのです。

161014シシャモ87308729.png



女神は、兄の大切にしていた柳の木の葉をつんでカゴに詰め、ふくろうの神に川に流してもらいました。
すると、葉の1枚1枚が魚になって泳ぎ始め、人々は、その魚のことを『ススハム』(のちのシシャモ)と呼びました。

161014シシャモ8730.png



自分の大切にしている柳の葉を取ってしまったことを知った兄は激怒。
悲しみにくれる女神の涙を、魚になったシシャモ達は、そっと口で受け止めたんですと。
でもシシャモが川に来たとこで、村人達は餓えをしのぐ事ができました。



その後、兄の神は、女神が行った事を許し、他の神たちとも強力して村人たちが食べ物に困らないようにしたという事です。

     = おわり = 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



■ シシャモは世界に北海道の太平洋側だけ

今は、シシャモは人間が養殖して川に放流しています。
1年半ほどは海で暮らし、それからまた川に戻ってきます。
海に戻る習性があるところは、鮭の生涯に似ていますね。


世界でも、北海道の太平洋側にしかいないという珍しいシシャモが食べられるなんてすんごいですよね。
とは言っても、私たち道産子でも、そんなにしょっちゅう食べられる魚ではないけどね。



■ 『カラフト シシャモ』と『シシャモ』は別のもの

スーパーでよく売られているシシャモは、よく見ると、『カラフト シシャモ』と書いてありませんか?
それは、シシャモじゃなくて『カペリン』という魚です。
カペリンはシシャモによく似ているし、本物のシシャモが多く獲れないなどの理由から、『カラフト シシャモ』って名前にしちゃったらしい。


私はそのことを知らなかったときは『カラフト シシャモ』と『シシャモ』は、同じ魚だと思っていました。
同じように惑わされてしまっている人も多いんじゃないかな?


よーく見ると、ちーっちゃく『カラフト』って文字が付いていますよ。
『カラフトシシャモ

『カラフトシシャモ』は1串200円くらいだけど、『シシャモ』は1000円以上と、ぐんと値段が高い。
知らないお客さんに ”なしてこんなに違うのよ” って思われてしまったら、お店のおじさんが ”ハ〜” っとため息ついて、涙がポロって落ちちゃうかも。
それを見た串に刺さったシシャモは、涙をパクっと受け止めてくれるかな。


161014-11.8hiro.jpg
<広尾町で食べたシシャモ>

面白かったらポチっとね。

人気ブログランキングへ


スポンサーPR


posted by ぽぷら at 12:07| Comment(2) | 北海道の伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月04日

地獄谷は女神が作った美人になる温泉

登別(のぼりべつ)温泉と言えば地獄谷。
温泉街から徒歩でたったの10分ほどで行けるのに、そこはもう別世界です。


赤い岩肌、あちこちから沸き上がる白いゆげ。
何より、あたりに漂う硫黄の匂いが、温泉に来た気分にさせてくれる。

160926jigokudani-6553.png




■ 登別温泉の泉質は9種類もある


登別観光協会のページによると、登別温泉は9種類の泉質があるそうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○ 硫黄泉・・温泉独特のあの匂い。白く濁ったお湯。
血管を拡張させるので高血圧、動脈硬化や心臓疾患、脳卒中の予防。殺菌作用で皮膚病に効果!
(登別に来た!と感じるお湯だね。)

○ 食塩泉・・保温効果抜群!冷え性に。(女性の見方!)

○ 明ばん泉・・皮膚や粘膜を引き締めるので、皮膚疾患や粘膜の炎症、水虫、じんま疹に効果。 (もぐって顔のたるみも引き締めてほしい)

○ 芒硝(ぼうしょう)・・高血圧症や外傷、動脈硬化症状に。
(血圧高めの中年にはありがたいお湯ね。)

○ 緑ばん泉・・良く温まるので、貧血症や慢性湿疹に。
(冷え性で貧血症の方にはもってこい)

○ 鉄泉・・貧血症や慢性湿疹によい。
(タオルが赤っぽくなる事もあるそうです。か弱い貧血女性の見方!)

○ ラジウム泉・・神経痛、リウマチ、更年期障害。
(お年寄りの見方ですね。更年期障害に悩む女性も是非お試しを・・私か!)

○ 酸性鉄泉・・・・殺菌力が強い。湿疹などによいが、皮膚の弱い人は入浴後に真水で洗い流す方がよい。
(効果がすごそう。試してみる価値あるかも)

○ 重曹泉・・・角質層を軟らかくするので、皮膚病、切り傷などに良く、美人になれる。
(湯上がりは美しくなり過ぎて、別人になっちゃうかも)




■ 谷間を流れる白い川

地獄谷の直径は約450m、1日に1万dの温泉が泉質が湧出しているそうです。

160926jigokudani-6554.png



谷の間を温泉が流れていますね。
近くで見るとこんな感じ。

160926jigokudani-6561.png



遊歩道を歩いて行ってみます。

160926jigokudani-6558.png



160926jigokudani-6559.png



『1861年、火薬の原料として地獄谷から硫黄を採掘していた南部藩の家臣が、ここのお湯で目を洗ったら病気が治った。』って書かれた看板がありました。




■ 本当は、女神が作った地獄谷?

さて、遊歩道をもっと奥へ進みましょう。

6575.png


160926jigokudani-6578.png




160926jigokudani-6580.png


突き当たりには、ボコボコとお湯が沸いている小さい温泉がありました。
そこに、東南アジア系のご夫婦とおぼしき二人連れがいて
「○×△■※○・・・」と声をかけられたけど、意味がなーんにもわからないので、ここは挨拶するしかないと思いまして『おはようございます』なんて言ってみました。



したっけさ、後ろからまた静かに声をかけるので振り向くと、カメラを差し出されました。
あ、写真ね!失礼いたしました。
『では写します、ハーイ(日本語)』パチ!
『もう1枚写しますね(日本語)』パチ!
「サンキュー、サンキュー」

160926jigokudani-6579.png



さて、この地獄谷を作ったのは、女神様という言い伝えがあります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昔々、登別という所に、きれいな女の赤ちゃんが産まれました。
娘は成長するにしたがって、どんどん美しくなって、人々の評判になりました。
ところが、少女になった頃、娘は原因不明の皮膚病に侵されてしまい、どんどん見にくい姿になっていったのです。
そしてある日、とうとう娘は村から姿を消してしまいました。
人々は、『みにくくなった自分を悲観したんだろう』と噂しました。


ところが真相は、そうではありませんでした。
実は、神様が美しいこの娘を妻にしたくて、年頃になるまで、わざと見にくくしておいたのです。
神様も、ちょっとずっこい事をしちゃうんだね。



         妻になった娘はやがて、6人の娘を産みました。
その内の5人は北海道の岬の女神になり、長女は、母が皮膚病で苦しんでいた事を知り、同じ苦しみを持つ多くの人の為にと、登別に皮膚病によく効く温泉を出して、そこの神様になりました。
こうして、登別温泉ができたのでした。



    妻にしたいと娘を見にくくした神様は身勝手だね。
だけど、長女が人間の役に立ちたいと思ったのは、母の病の苦しみ知っていたからこそですね。
不自由や苦しみのない生活からは、何も産まれないのかもしれません。



登別温泉のシンボルは地獄谷の『鬼』だけど、女神様の作った谷の温泉と考えたなら、自分も入って更なる美人になりたいわ・・・なんて思っちゃうさ。

160926jigokudani-6556.png

面白かったらポチっとね。

人気ブログランキングへ


スポンサーPR


posted by ぽぷら at 22:06| Comment(4) | 北海道の伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月29日

藻岩山はアイヌの人達を病気から守っていた

東南アジアなどに存在するという伝染病デング熱。
それが大都会の東京で患者が出たというのですから驚きました。
幸い、治療をしっかり受ける事で治るそうで、一安心してよさそうですね。



それまで経験したことのなかった病気の感染が突如始まるということが、昔の北海道でもあったそうです。 札幌市民にとってなじみの藻岩山(もいわやま)に残されている伝説に、そのお話はありました。



藻岩山は昔、アイヌの人たちが「インカルシペ」と呼んでいた聖なる山でした。
ある年の春、「インカルシペ」から山鳴りが聞こえてきました。
これは、恐ろしい病気が流行する前触れにちがいないと思ったアイヌの人たちは、村人みんなで、「インカルシペ」の山の中に逃げ込み、病気が感染しないようにそこで数日間を過ごしました。
そのおかげで彼ら達に病気が移る事はありませんでした。
事態が終息した頃、山の中腹から、事態の終息を知らせたのでしょうか、カムイシュネと呼ばれる神さまの灯火が光ったという事です。



実はこの病気は、疱瘡(ほうそう)=天然痘 だったそうです。
疱瘡と聞いて、”あ〜、知ってる!昔、予防接種したよね〜、すんごく痛かったよね〜、
今でも肩に予防接種の跡があるよ〜”
なんて方がいらしたら、もしや私と同年代か先輩の皆さんですね。



江戸時代から明治にかけて、北海道にやって来た和人たちは、アイヌの人々がそれまで体験した事のない、新たな病気を運んできました。
未知の病原菌に対して免疫力のないアイヌの人たちは、そうした病気によって沢山死んでいったそうです。
疱瘡も、そうした病気の一つだったようです。



疱瘡は根絶されたと言われているけど、今回のように、そこにあるはずのない病気が出現するのはなんだか怖いです。



それにしても、藻岩山(「インカルシペ」)が災いを知らせた山鳴りと、終息を知らせたカムイシュネの光って、いったいなんだったんでしょう。
知りたいけれど、和人は病気を持って来た張本人だから、藻岩山(「インカルシペ」)は、何も教えてくれないのかもしれませんね。



以前、藻岩山を空から撮影した写真です。(07年1月)
現在、藻岩山展望台は新しくなっています。

新しい藻岩山展望台の記事はこちらです。

14.8.29-0715の藻岩山.jpg

<関連記事 >

新しくなった藻岩山展望台に会いにいったもの
http://dabesatuusin4.seesaa.net/article/391996180.html

藻岩山の謎だった白い塔
http://dabesatuusin4.seesaa.net/article/391994920.html

空から見た藻岩山は優しい恐竜に見える
http://dabesatuusin4.seesaa.net/article/391995466.html?1472881854

藻岩山から見た札幌の夜景がついに日本三大夜景の仲間入り!
http://dabesatuusin4.seesaa.net/article/427900317.html



人気ブログランキングへ

スポンサーPR
posted by ぽぷら at 22:25| Comment(2) | 北海道の伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月15日

悲しい『おいらん』伝説がある豊平川

札幌南区にある『もなみ公園』は、広くて整備されたきれいな公園です。 横を流れる豊平川は、雪解け水で大きな流れになっていました。


14.5.9おいらんぶち004.jpg


14.5.9おいらんぶち001.jpg




土手を降りた所に『おいらんぶち(花魁淵)の由来』と書かれた看板があります。
ここには、悲しいおいらんの伝説の事が書かれています。

14.5.9おいらんぶち002.jpg




『それは明治28年、すすき野の呉服店の若旦那が上京したさい、吉原遊郭のおいらんを身請けして連れて帰りました。 けれど3ヶ月もすると、おいらんは東京に帰りたいと言いだしたので、若旦那は奥座敷に閉じ込めてしまいます。
そんなある日、おいらんは座敷牢を破って逃げ出し、数日後、この岸壁のある河原で水死体がみつかりました。
川辺には、高下駄と蛇の目傘が置いてあったという事です』




このお話が事実かどうかは、わかりません。他にも説があるようなので。
でも明治時代に、すすき野には沢山の遊郭があったそうだから、悲しい運命をたどった多くの女性がいた事は事実でしょう。




すすき野からここまでは、距離にすると6〜7キロくらいかな。
必死にここまでたどり着いた時の気持ってどんなだろう。
きっと、身も心もボロボロよね。 ここに立って いると、どうにもならない時代に生きた 女性の悲しい気持が、ちょっと、伝わってくるようでした。

14.5.9おいらんぶち003.jpg


人気ブログランキングへ

スポンサーPR
posted by ぽぷら at 21:58| Comment(6) | 北海道の伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月22日

女人禁制のオタモイの海の物語

北海道の積丹半島の海の色は、積丹ブルーと言われていて、青く揺らめくガラスのようです。
この海が女人禁制だったころにあった、悲しい物語りのお話しがあります。




弘化4年(1847)4月24日の朝、オタモイ海岸に、若い女性の死体が打ち上げられました。
彼女の名前はおイトといいました。
大きなお腹をした身おもの体で、打ち上げられたとき、はだけた着物のふくらんだ胸から白いものがにじんでいたそうです。
魚津(富山県)の医者の娘で、好きな若者がいましたが、親に強く反対されていました。
ある本によれば、”ふたりの間を引き裂かれた若者は傷心して蝦夷地(北海道)に渡った”とあり、
別な本には、三男坊だった若者が、”お金を稼ぐために蝦夷地に出稼ぎに出た”と書いてありましたが、いずれにせよ、 好きな人に会いたい一心で、おイトは大きなお腹をかかえて蝦夷地へと向かう北前船に隠れて乗りこんだのでした。




ところが、積丹半島のカムイ岬のあたりまでやってくると海が荒れ始めました。
船乗りたちも、ただただ神に祈るしかすべがないほどの大荒れです。
『自分のせいで海の神が怒ったのだ』と思ったおイトは、船底から現れたかと思うと、そのまま海に身を投じたのです。
それからまもなく海は静かになりました。




そして翌朝、オタモイの海岸に、おイトの亡きがらがあったのです。
哀れに思った忍路漁場の西川徳兵衛という人が,供養のために石の地蔵尊を作らせました。
その時のおイトは若干20歳くらいだったようです。




悲しい・・なにが女人禁制さね、バカたれ。
20数年ほど前、爺ちゃんに連れられてオタモイ海岸にいった時、小屋のようなものの中にあったのは、確かにお地蔵様のようでした。
この海を女人禁制とした理由は、一説によると、この海の伝説を利用して、幕府が蝦夷地を管理するためだったと言われています。
積丹の海は、悲しい女達が流した涙の色でもありました。

※ 写真は、2011.8撮影です。小樽市のHPによると、現在オタモイ海岸への遊歩道は落石多数の為、閉鎖されてているとの事です。

                                                                                                                          13.6.21-11827積丹03.jpg                                                                                                       


  13.6.21-11827積丹02.jpg                                                                                                                                                                    


13.6.21-11827積丹01.jpg 


11.8.26syakotann.jpg                                                                

人気ブログランキングに挑戦中です!ポチっと押すとランクアップ!
人気ブログランキングへ




だべさ通信3
posted by ぽぷら at 00:32| Comment(4) | TrackBack(0) | 北海道の伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月15日

積丹の岩の物語・・・弁慶の刀掛岩&ローソク岩

どこまでも透明な積丹の海には、いくつもの物語が残されています。
たとえばこの岩。
先端が、クイっと鋭くとがっていますよね。
『弁慶の刀掛岩』という名前がついています。
源義経は30歳にして平泉で死んだ事になっていますが、実は生き延びていたのです。



北海道にたどり着いた義経たちは、ここでちょっと一休み。
その時、弁慶は刀を掛ける場所が欲しいなあと思い、そばの岩をチョイっとひねりました。
刀が落ちないように、内側に向けて鋭い角度にひねったあんばいが、さすが弁慶ですね。

12.9.7積丹01.jpg

ウソでしょって?

・・・・・・・・
遠い昔の出来事は、現代の常識では考えられないのです。






それでは、この岩はどうでしょう。
積丹を訪れた人なら誰でも目を奪われてしまう、『ローソク岩』でございます。




その昔、海の女神は、赤い光を出す怪物を退治してほしいと人間の若者に頼み、兜と剣を渡しました。
若者は仲間と一緒に怪物に立ち向かいましたが、その凄まじさゆえに、最後には剣も兜も見失ってしまったのです。
ところがどうした事でしょう。
波がおさまった海には、確かに若者が持っていた兜と、まっすぐ海に突き刺さった剣が残っていたではありませんか!
剣は、怪物をしっかりととらえていたのです。
この岩は、実は若者が怪物と戦った剣の握り部分だったのです! 以来この海には、再びニシンの群れがやってくるようになりました。
(参考=北海道ロマン伝説の旅)



じゃあなぜこの岩がなぜロウソク岩と呼ばれるのか。
それはね、岩が光ったんだと。
またまた、”そんな事あるわけないべさ”って?
それがさ、そうでもないらしいんですよ。
ニシンが大漁だった頃は、この狭い岩の上には沢山のカモメが羽を休めたものですから、当然のようにフンがいっぱい重なりました。フンに含まれるリンの成分が、夜になるとボワ〜っと当たりを照らしたというのです。
さらに、ニシンの鱗が岩にびっしりついて、岩を光らせたとも。


なるほどね。
美しい海には、伝説がよく似合いますね。

<どうぞポチっと大きくご覧下さいませ。>
12.9.7 積丹04.jpg<

12.9.7 積丹05.jpg

12.9.7積丹06.jpg



「ねえお父さん、見えるでしょ?最初にローソクに見えるのは仕方ないとして、このお話を聞いたら、絶対に剣にも見えるって」
「そうかあ、オレにはローソクにも剣にも見えないけどなあ」

<写真は旦那さん提供>

積丹地図.jpg

人気ブログランキング
に挑戦中です!ポチっとして頂けるとランクup。励みになります。

人気ブログランキングへ


だべさ通信3
posted by ぽぷら at 09:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 北海道の伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月25日

北海道のトムラウシには金の延べ棒が眠っている

”金の延べ棒が、北海道新得町トムラウシの山に隠されている”
しかも、それは明治の頃というから、現実味があるロマンだと思いませんか。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

”それは明治維新の年でした。
秋田藩は奥州戦争で苦しい財政をしいられていました。
そこで、すでに明治二年から禁止されていた事を知りながら、ひそかに藩で貨幣を作る事にしました。
しかし、何者かがその事を政府に密告したのです。


明治政府に見つかる事を恐れた秋田藩は、金の延べ棒を北海道に隠す事を考えました。
秋田藩は江戸時代に増毛や宗谷を領地にしていた事があって、北海道の地理には詳しかったからです。
場所は釧路か根室と決めました。


けれど季節は2月、十勝川をさかのぼるのは命がけです。
ようやっと隠し場所を見つけた場所は、絶壁に囲まれた、”トムラウシの函”と呼ばれている所でした。
横穴に金の延べ棒を隠し終えた時、周囲から、強い毒性の亜硫酸ガスが吹き出し、体力を使い果たした藩士たちは次々に倒れていきました。”
                                       『北海道昔話 道東編』参考

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

実際に調査された事もあったそうですが、今だ、金の延べ棒は見つかってはいないようです。
今でもどこかの横穴で、主を待っているかもしれないよね。


もし見つけたらですね、基本的には落とし物扱いになるそうだけど、埋蔵金だから大抵の場合は相続人も見つからない。
したがって埋まっていた土地の所有者と、掘り当てた人で折半になるんだとか。
しか〜し!歴史的価値のあるほどの、お国のすごいお宝だったらどうなるか。
そういう時は、国が、いくらかの報奨金をくれるそうです。
やっぱしお金持ちにはなれるんだ!!
どうですか、これならいっぺん、探検するしかないべさや。

<< 宝の地図 >>
トムラウシ.jpg

人気ブログランキング
に挑戦中です!ポチっとして頂けるとランクup。励みになります。

人気ブログランキングへ


だべさ通信3
posted by ぽぷら at 23:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 北海道の伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月02日

伝説は、事情によって変化する

数年前まで琴似(札幌市西区)の本通に古本屋さんがありました。
ふらっと入った時に、偶然『北海道ロマン伝説の旅』という本を見つけました。
30年以上も前の昭和51年の出版で、文字を持たなかったアイヌの人たちが口伝えで残してきた物語や、北海道に和人がやってきてからの物語をまとめ、作者がその足跡をたどりながら取材したものです。
中をペラペラと覗いてみると、見覚え聞き覚えのある地名や神社、お寺の名前が登場しています。
なにも知らずにその場所を通り過ぎていたなんで、もったいない話だね。



読んでいくうちに、物語には種類がある事に気づきました。
本当に起きた出来事の物語。人々の前に起きた不可解な現象が、神の行いと見えるかタタリと見えるかでできた伝説。
もう1つは、いつの時代にもある、”ビジネスチャ〜ンス!!”とばかりにわざと作り上げたり、自分の行いをタタリの仕業に押し付けちゃった伝説です。
それらが、時代の事情の流れにこねられこねられ、おまけが付いたり切り取られたりしながら、今の時代に伝わっているという事です。



この本が出版されてから30数年という月日が流れているから、本に登場した小さな町や集落では、昔に起きた出来事は忘れ去られ、石碑や祠があったとしても土に埋もれてしまっている所があるかもしれませんね。



先日、この本の続編がもう出版されているのを知って、ネットの古本屋さんから買いました。
30年以上たっても新品同様。何でもデータで読む時代だけれど、そこに存在している本は安心でいいものだね。




”北海道のこの町に、こんな出来事や物語があった”という事を、少しずつ書き貯めるのもいいかもしれいと思いました。
ブログにアップしようかな。あら、でも、これだっていつかは消えちゃうデータだよね。そっか私の場合は、その方がいいわ。
ついつい、スタイルよく書いちゃうもんね。本当は、ポッコリお腹がデレンとなっているのにさ。

人気ブログランキングに挑戦中です!ポチっと押すとランクアップ! 人気ブログランキングへ



『だべさ通信3』
posted by ぽぷら at 09:40| Comment(5) | TrackBack(0) | 北海道の伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月20日

小樽の祝津に残る2つの昔話し

ホテル『ノイシュロス小樽』と小樽水族館は、日本海に向かって隣り合わせに立っています。
ここにある、赤岩と呼ばれる岸壁に残る2つの話を本で読んだ事がありました。



■ 白い竜に姿を変えた行者

昔々、もの凄い嵐の日の事でございます。
萬助という男が、この岩を這い上がり、洞窟を目指していました。
やっとの事で洞窟にたどり着くと、洞窟の奥の方から奇怪な声と共に、リ〜ンリ〜ンと鈴の音が聞こえてきます。


目をこらして見てみると、そこにいたのは白い衣を着た行者でした。
萬助が近づこうとしたその時、天地が割れるほどの地鳴りがおこり、行者は突如、白い竜に姿を変え、萬助に襲いかかってきたのです。
萬助は、やっとの思いで逃げ帰り、番屋に戻ってその事を話しました。
「あの行者は、わしらが生臭坊主とののしった高尾了範様だ。今でもあの洞窟で修行をしていなさるのに、そうとは知らず、わしは仏の洞窟をけがしてしまった」と、恐れおののいたのでした。



12.3.16小樽赤岩01.jpg

写真の左に、ちょっとだけ写っているのが、ホテル『ノイシュロス小樽』なので、萬助が必死で登った崖の上に、ホテルが立っちゃっているのかもしれないね。
ホテルの前の道路は、赤岩の頂上を含む散策路に通じていて、そこは昔から霊場になっているそうです。



■ 黒田清隆が放った大砲が乙女を直撃

これは実際にあったお話です。
明治9年(1876)7月30日、時の北海道長官、黒田清隆が乗った 開拓使船「玄武丸」から、この赤岩めがけて大砲が打たれました。
ある本によれば、女人禁制の海に終止符を打つためとか、別な本によればクラーク博士と意見が会わずにムシャクシャしちゃったからだとか、大砲の試し打ちがしたかったとか、色々書かれているけど、とにかく、ドッカーンと大砲を打ったわけです。


したっけさ、それがなんと、狙いがはずれて民家の傍に落ちました。
飛び散った破片が、結婚間近の20歳の乙女に直撃、両足に大ケガさせてしまい、応急処置はしたものの、結局彼女は亡くなってしまいました。
実際に大砲が落ちた場所は、水族館へ行く曲がり角の手前であることがわかりました。
今はもう、何も目印になるようなものはありません。
月日がたてば、そんな事件の事も、いつかは忘れ去られてしまうのでしょうね。



私は今の景色しか知らないけれど、長い時間が流れる中で、同じ場所で、色んな出来事が起きている。
空想の中で時間を巻き戻せば、当時の光景がそこに現れてくるような、そんな思いがするのでした。


< 合わせて読みたい記事 >

ホテル ノイシュロス小樽の時間はゆっくりと、こちょばく流れる
http://dabesatuusin4.seesaa.net/article/391995712.html?1472782691

小樽の祝津に残る2つのお話し
http://dabesatuusin4.seesaa.net/article/391995716.html?1472783596

ホテルノイシュロス小樽の窓から見えた野生のトド?!
http://dabesatuusin4.seesaa.net/article/391996055.html?1472788693

小樽にのニシンは孵化事業のたまものであった
http://dabesatuusin4.seesaa.net/article/391996056.html?1472789503

ホテルノイシュロス小樽は婆ちゃんに優しいバリアフリー
http://dabesatuusin4.seesaa.net/article/391996110.html?1472791792

おたる祝津花火大会 2013、天国からも見えますように
http://dabesatuusin4.seesaa.net/article/391996288.html?1472791966

ホテルノイシュロス小樽のランチ クレアを食べてきました
http://dabesatuusin4.seesaa.net/article/400449154.html?1472804252

ホテルノイシュロス小樽の予約 >>



人気ブログランキング
に挑戦中です!ポチっとして頂けるとランクup。励みになります。

人気ブログランキングへ


だべさ通信3
posted by ぽぷら at 23:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 北海道の伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月29日

積丹の海は ニシンと乙女の呪い

積丹(しゃこたん)ブルーが広がる海は、かつては”女人禁制”の海でした。
それは、源の義経の伝説から始まります。


”難を逃れて北海道に渡ってきた義経に、アイヌの酋長の娘が、恋をしてしまいました。
娘は、北へ向う義経のあとを追って積丹までやってきました。
ところが、義経はすでに、船で北へ向かったあと。
娘はあまりの悲しさに、この神威岬から身を投げてしまったのです。


それからというもの、積丹の海を和人の女性を乗せた船が通ると、なぜか、船は沈んでしまうのでありました。
こうして、積丹の海は、”女人禁制”になったのでございます”

11.8.kamuimisaki01.jpg

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

スクープ!『”女人禁制”の真実』アイヌの娘の”呪い説”はぬれぎぬだった!
はたしてその真実は、ニシンの漁場をめぐる、商人や幕府の陰謀だったのだ。


『風の噂によると、当時、北海道の日本海側では、ニシンがわんさか捕れたので、やん衆達(働き手の男たち)がどんどん北海道に押し寄せて来たのであった。
しかも、ニシンは日本海側の北方面にまでわたって捕れる。
当時の北海道の北は、まだまだ未開発で目が行き届いていなかった。
幕府は、”もしそこに、家族でやってきて住み着く者が多くなれば、ますます統治が難しくなってしまう”と考え、
”したらよ、アイヌの娘の呪いって事にして女人禁制”にしておけばいいべや』
というのが真実という噂が浮上したのであった。 ただし、遊郭はあったそうですよ。なんだべね〜 <
人気ブログランキングに挑戦中です!ポチっと押すとランクアップ! 人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ

『だべさ通信3』
posted by ぽぷら at 00:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 北海道の伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月30日

『フキ』と『コロポックル』の伝説

畑のフキが大きくなりました。
食べると瑞々しいシャクシャクとした歯ごたえと、何とも言えない青臭さがクセになります。
大きな葉っぱが空に広がって、コロポックルが見上げたら、こんなふうに見えるのでしょうか。


コロポックルは、”フキの下にいる人”とか”竪穴に住む人”とかいう意味だそうで、北海道に住んでいた伝説の小人です。
以前、何かで読んだアイヌ伝説のお話の中に、コロポックルの話がありました。


 = 昔々アイヌの村に、大変な飢饉が起きたときの事です。
アイヌの若者の家に、知らないうちに食べ物が届けられるようになりました。

ある夜の事、若者は家の中に食べ物を差し出す小さな手を見つけました。
いったい誰なんだろう。始めのうちは我慢していた若者でしたが、どうしても知りたくなりました。
そしてとうとうある日のこと、いつものように食べ物を置いていくその小さな手をいきなり掴んで引っ張りました。すると、そこに現れたのはなんと、小さな小さな裸の若い娘でした。

若者がビックリしている間に、娘は泣いて逃げて行ってしまいました。
それからというもの、娘は二度と、若者の前に現れることはありませんでしたとさ・・・・おしまい  =


その内容は、個々のお話によって少しずつ違うようですが、大まかなあらすじは変わらないようです。
実際コロポックルは背の高さが1メートルほどの小さな種族で、樺太や千島列島の方から来た人たちではないかと言われています。
フキのほとんどは、畑にあるよな背丈だけれど、足寄町に生える巨大な『ラワンブキ』は背の高さが3mにもなるそうです( 去年行ったけど見れなかったんだよ )。
だからもしかしたらだけどね、北海道にはラワンブキがもっと沢山生えていたのかもしれません。
そしたらほら、昔から言われている『フキの下にコロポックルが10人も入る』というお話しもうなずける。
何よりも、そのお話の舞台となった場所が北海道の北の果て、稚内に近い宗谷の泊内(とまりない)という所には、コロポックルが住んでいたあとらしき跡も残っているそうです。
ロマンあるなあ。


最初、このお話を知ったときは、”寒い北海道なのに、な〜して娘が裸なのさね〜。まったくもう、エッチくさい男の人が伝説にサービスしちゃったんでないの?と思いました。きっと洋服着てたよね。
恥ずかしがりやのコロポックルたちは今でも、山奥のフキの森で、冬は羊のセーターをしっかりまかなって(しっかり着て)暮らしているのかもしれません。会ってみたいな。
コロポックルは伝説だけど、コロポッコリならここにおります・・・ほらほらここに、私のことよ。

11.5.29huki002.jpg

11.5.29huki001.jpg <です!
ポチっとして頂けるとランクup。励みになります。

人気ブログランキングへ

posted by ぽぷら at 21:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 北海道の伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする